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大阪地方裁判所 昭和36年(わ)749号 判決

被告人 吉川博

昭一四・一・二生 立看板業

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は

被告人は看板の掲示を業とするものであるが、昭和三六年二月二二日大阪市城東区関目町三丁目三番地先空地において、自己の看板を掲示するため、同所板塀に掲示中の旭商工宣伝株式会所有の立看板一枚(南海電車南紀号関係のもの)を取りはずして投棄し、これを損壊したものである。

というのである。

よつて按ずるに、右公訴事実中、外形的事実に関する部分は被告人の認めて争わないところであり、又本件諸般の証拠上これを明認することができる。

そこで、被告人の右所為が器物損壊にあたるか否かについて検討するに、被告人の当公廷における供述、被告人の検察官(36、3、4)および司法巡査に対する各供述調書、司法巡査福本幸男作成の捜査復命書添付の写真第二号、司法巡査作成の現行犯人逮捕手続書、証人井上正次郎、同陶山智康の各証言を綜合すると、次のような事実を認めることができる。

(一)  大阪市内においては街頭看板業者の取扱う看板の数に比較してこれを掲示する場所が限られており、殊にその掲示場所が所有者の許可を得ないでも掲示を黙認してくれる空地の板塀や柵等に集中しているため、これをめぐつて同業者の競争が激しく、互に他社の看板の自主撤去を待つていては自社の看板を割当どおり掲示することもできないところから一応掲示期限の終りかかつているような比較的古いものは他社の看板でもこれを無断でとりはずし、そのあとに自社の看板を掲示する慣行が同業者間で繰りかえされており、最近は一段とそれが激しくなつていた。

(二)  被告人は、やはり大阪市内の街頭看板業者である株式会社日宣専属の下請人であり、同社の指示に従いその割当どおりの看板を大阪市内に掲示することを業としているものであるが丁度本件の日、即ち昭和三六年二月二二日午後一時四〇分頃、前記日宣から割当てられた看板を本件場所に掲示しようとした際、適当な空間がなかつたため、従来の慣行に従い相手方もやつていることだからという軽い気持から、同所に掲示中の看板のうちで比較的古い旭商工の本件看板(南海電車南紀号関係のもの)一枚を勝手にとりはずし、そのあとに自己が携えて来た前記日宣の映画「あれが港の灯だ」の宣伝看板を掲示しようとしているところを、後をつけて来た旭商工の社員らに発見され、現行犯人として逮捕されその後一三日間にわたり本件により勾留を受けた。

(三)  ところで、被告人の手によつてはずされた旭商工の本件看板は昭和三六年一月二六日から一ヶ月ちかく同所に掲示されていたもので、同月二五日をもつて掲示期限が切れるものでスポンサーの要求もあつて、本件当時即ち同年二月二二日現在において、撤去のうえ廃棄されることになつていたものである。そして又右看板自体も細い杉材にベニヤ板を打ちつけ、その上に印刷した紙を貼りつけたものに過ぎず、それ自体最初から短い掲示期間を予定して作られた消耗品であつた訳であり、それが一ヶ月近くの間、街頭で風雨にさらされて来たものであるから、右看板自体物質的にもその効用を果しその寿命が来ていたものである。

(四)  前記旭商工においては、本件につき被告人を告訴しているが同会社が真に問題にしているのは本件ではなく本件に先立つて行われた一連の看板撤去の事件とそれを指示した広告業者であり、本件一件のみを捉えてみた場合、真実同会社に告訴の意思があつたか否か不明であるし、况して一介の下働にすぎない被告人に対しどれ程の処罰の意思があつて告訴したものか甚だ疑しい。

以上のような事実が認められる。

云うまでもなく、刑法第二六一条の法益は物の効用であり、効用とは物に内在する本質的な利用価値である。本件の場合、先に見て来たように、本件の看板は既に一ヶ月近い日数の間掲示され、看板としての効用を充分果し終り、撤去され廃棄される寸前にあつたものであるから、その本質的な利用価値は殆んどなくなつていたものと認めるべきである。従つて、左様な無価値に近いものを損壊しても刑法上器物損壊罪は成立せぬものと認めるのが相当である(なお軽犯罪法第一条第三三号も看板の効用を一時的に害し又は失わしめる場合を対象としているものであると解されるから、前記説明により本件は軽犯罪法にも該当しないものと認める)

以上の理由により、刑事訴訟法第三三六条に則り本件につき被告人には無罪の言渡をする。

(裁判官 松村利智)

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